ワッツアップ
みほママです👩
今日はコンプレックスについて。
実はみほママ、顔面に1cm四方の母斑がありまして、
先日切除手術を受けてきました。
これまでずーっと母斑の存在を悩んでいて、
今までずーっと髪の毛カバーで隠してきましたが、
術直後から切除してよかったと心底思っています。
(私は髪の毛カバーをするために、物心ついた頃からは前髪ありの髪型しかしたことがありません。前髪を上げるなんて前代未聞!和装の時も舞妓さんのような髪型は決して出来ませんでした。)
今回はそんな私の個人的お話。
我が子が母斑を持って生まれてきた方や
私のように母斑がある方が少しでも悩みを解決できればと思っています。
長いので前編後編に分けました。
それでは前編は下記3点に沿って記載します。
幼少期
幼少期の記憶って実はあまり覚えていませんが、今でもはっきり覚えている母斑に関する記憶が何点かあります。
・ある日母親に、「なんで私は大きなホクロがあるの」と聞いた。その時母親には、「チャームポイントだよ。取るにはレーザーでジューって焼いて痛い痛いだよ」と言われた記憶
→このチャームポイントという言葉が今後の私を苦しめました。
・小学校で友人と黒板にお絵かき。絵が好きな友人は私の似顔絵を描いてくれた。その似顔絵を見ると、大きな母斑まで忠実にに再現されてるではありませんか!という記憶
→その友人は悪意は全くないと思いますが、他人から見た母斑でこんな感じなんだと思いました。
・小学校高学年のときに、同級生男児にお前ほくろあるのと言われて悲しい恥ずかしいなんとも言えない気持ちの記憶
中高生
中学生くらいになると、他人の外見的特徴についてとやかく言うのはタブーという常識が備わってくるので、
母斑について言われることも少なくなってきます。
・中学生になって部活動を選択する時に迷わず室内競技を選んだ。その理由は、屋外競技だと風が吹いて髪の毛が舞い上がった時に母斑が見えてしまうから、でした。
・しかしながら室内競技でも激しめなスポーツだったため、汗をかなりかき髪の毛で隠すにも限界が見えてきました。しかし必死で汗に濡れた髪の毛を母斑のある位置に上手いことペタッと貼り付けて隠していました。
・私の同級生には私のように顔面に母斑がある子がいました。ある日その子に向かって男子が、「お前顔面に泥ついてる」と言いました。
近くで聞いていた私はものすごくショックを受けました。私もこの母斑の存在に気がつかれたら、このように言われるかもしれないんだ、嫌だな、、と思いました。
・高校で部活が同じだった同級生に、ある日髪の毛カバーが外れてしまい初めて母斑の存在を気がつかれました。
その友人は驚きと戸惑った様子でこのように私に言いました。「ここにホクロがあるんだね。多分私しか気がついてないよ。みんなには黙っておくね」
正直、母斑のことに関して他人に何か言われるのは久々で私も戸惑い「うん」としか答えられませんでした。
大人になったころ
・高校生以降、髪の毛カバーでうまいこと隠していたおかげか母斑について何か言ってくる人はいませんでしたが、相変わらず母斑の存在はいつも悩みでした。
・付き合う人にも母斑の存在を知られまいと試行錯誤する日々。
・友人と温泉に行った際は、シャンプーをしても髪を上げずに母斑が隠れるように髪を一部垂らしたり。
・ある日唐突にモラ夫が私の髪の毛をバサーとあげ、母斑の存在に気づかれました。モラ夫は、「これ隠してるんでしょ。今まで気がつかなかったもん。その隠す技術すごすぎ」となんともデリカシーのないことを言ってきました。
・それ以降モラ夫にはやる気スイッチと言われていじられることもしばしば。
そんなわけで、私は今までずーっと可能な限り髪の毛カバーで隠してきました。
ですが私はある日母斑を切除するという選択肢に出会います。
それは、我が子の母斑にレーザー治療をしているというInstagramの投稿を見たとき。
この時、
「母斑を気にしてても良かったんだ」
「母斑を消したいと思うことは悪いことじゃないんだ」
と思いました。
それまでは、母斑をめちゃめちゃ気にしているのに気にしないフリをしていたり、
母斑を取りたいと思っても、親がチャームポイントだと思っている母斑を取るのはなんだか親に悪いのかもと思ったりしていました。
ですが、私の人生、私の顔面、私が納得する顔面で生活したい!そう思い始め、切除を本格的に決意しました。
そしていざ最初の関門である病院へ。
後編へ続く。
解消できるコンプレックスは解消すべし 〜大人になってから母斑を切除したら人生変わった 後編〜 - それいけ!みほパンマン!